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創業者インタビュー(島崎一二さん)

  • 2023年10月18日
  • 読了時間: 3分

更新日:4月8日


長野市実践起業塾を2023年3月に卒業され、開業に至った島崎さんのインタビュー記事です。

(2023年9月)


島崎 一二(しまざき かつじ)

合同会社 ミヤハラ 代表 千曲市杭瀬下69-1

(合同会社ミヤハラHP)



・ まずは自己紹介をお願いします。

島崎一二です。1981年生まれの41歳(2023年当時)です。7月に千曲市に合同会社ミヤバラという葬儀コンサルタントの会社を立ち上げました。現在、セレモニーができる会館を建設中で、秋にはオープン予定です。

・千曲市出身なのですか?

住まいは長野市なのですが、もともと生まれは坂城町です。

姉が2人いて、私自身は待望の長男で小さいころから本当にかわいがられました。


・ご実家はどんなお仕事をされていたのですか?

曾祖父の代から葬儀屋を始め、そのあと父と祖父が継いで経営をしていました。家には商品として仏壇が並んでいて、小さい頃は怖かったですね。仏壇からお化けが出てくる夢をよく見ました。


・曾祖父の代というと結構歴史がありますね?

そうですね、正確には把握していませんが、約100年くらい前から葬儀屋をやっていると思います。


・そうなると必然的に社会人デビューは、葬儀屋を選んだのですか?

高校卒業後の進路指導では、そのまま葬儀屋を継ぐのだろう、勤めるんだろと言われてましたね。

ちょうど就職氷河期でもあったので。なんかそう思われているのもちょっと引っかかってはいました。それで学校卒業していざ就職となったとき、父の会社(葬儀屋)では働かせてもらえなかったです。

ですので、いろんな仕事をしました。


・どんなお仕事を経験されましたか?

土木業やパチンコ屋さんとか製造業とか。でも、人と接する仕事の方が自分には合っているなと感じていました。またミシン屋さんで働いたこともあります。葬儀屋の次に好きなのがミシンなので。今でも子供の手提げかばんとかも作ってます。でも当時のミシン屋さんはノルマが厳しくて。結局辞めてしまいました。その時、母に相談したところ「じゃあうちで働くか?」となりました。


・後継者として歩み始めたのですね。

ゆくゆくは継ぐんだろうなと思ってました。実は15年くらい前に父が病に伏せて、会社自体を辞めるという時があったのですが、その時父母から「お前はどうする?」といわれたんですね。その時25歳くらいだったんですが、私自身親の姿を見てきて、経営者になるというのが嫌だったので、実は継がなかったんです。例えば子供のころ家族でどこか旅行に行くじゃないですか。父に電話がかかってきて、葬儀が入ったとなると、すぐに帰るわけですよ。それが子供心に本当に嫌だったんです。せっかく楽しみに来たのにと。とはいえ、葬儀屋自体が嫌いではなく、むしろ大好きでしたね。サラリーマンとしての葬儀屋には魅力はありました。ですので、会社は継がず、知り合いの葬儀屋で働くことになりました。



そんな島崎さんが、新たに葬祭業として会社設立に至ったのか・・・


起業に至った経過や開業後の展望については「開業Tube」にて公開中。

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